【米国マサチューセッツ州ボストン16日(日本時間17日)発】レッドソックス傘下マイナー3Aウスターの上沢直之投手(30)が渡米1年目のシーズンを終え、ボストンのローガン国際空港から帰国の途についた。7日(同8日)付で右ヒジ痛(診断結果は疲労骨折)のため7日間の負傷者リストに入ったが、首脳陣とも話し合った結果、残り試合には登板せず今季を終えることに。
メジャーでの成績と課題
上沢はメジャーでは救援で2試合に登板し、勝敗は付かず、4回を投げて2安打1失点、3三振、2死球の成績を残した。防御率は2・25とまずまずの数字であったが、マイナーリーグの3Aでは20試合に登板(先発6試合)し、5勝4敗、防御率7・63と不本意な結果に終わった。
リーグ | 登板数 | 勝敗 | 防御率 | 投球回 | 被安打 | 奪三振 | 与四球 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
メジャー | 2 | 0-0 | 2.25 | 4 | 2 | 3 | 2 |
3A | 20 | 5-4 | 7.63 | 59 | 69 | 47 | 36 |
右ヒジ痛の影響
上沢は右ヒジを痛めた要因について、「ボールが滑りやすいのもあると思うし、投げる球種の割合も違った」と振り返った。また、変化球を多く投げることで、自分のフォームが崩れ、体に負担がかかったとのことだ。「僕が対応しきれなかった。それも含めて、自分に足りなかったことが多かったと思う」と自省の言葉を残した。
新しい役割への挑戦
この1年での最大の挑戦は、米国での中継ぎ投手という役割であった。上沢は、「一番の失敗だったかなと思うのは、急いで投げるよう求められたときに、力を入れすぎてしまったこと」と述べた。先発時代は、力を抜いて投げることができたが、中継ぎとしての役割に慣れるのに苦労したと語った。
中継ぎ投手としての苦労
ブルペン投手の大変さを痛感した上沢は、「ポジションごとのプロフェッショナルというか、適性があるなと感じた」と語る。「両方できる人は本当にすごいと思うが、単に投手だから両方できるというわけではない」という言葉には、多くの経験を経た投手としての真剣な思いが込められている。
孤独との戦い
上沢の米国での生活は言語の壁や家族との離別もあり、孤独感が強かった。「いつもはシーズンが短く感じられるが、今年は長く感じた」と述べ、「私生活でも英語がしゃべれないし、家族と離れるのが辛いものだとは思わなかった」とその辛さを告白した。
毎日の努力と成長
上沢は1日1日を後悔のないように過ごそうとし、「どこかで手を抜いたら成功はないと思って、なるべく吸収できるものは吸収しようと毎日やってきた」と語った。しかし、その努力が結果に結びつくことは少なく、精神的に厳しい一年となった。
得た教訓と新たな目標
「野球人生の中でかなり苦い1年だった」と振り返りながらも、「失敗することは悪いことじゃないと思うので、この失敗をこれからの人生にどう生かしていくかが重要だと思う」と自身の成長と未来を見据えた言葉を残した。
今後のキャリアについて
来年も米国でプレーしたいかという問いに対して、上沢は「うーん、それは難しいところ」と即答を避けた。現状では契約の問題が大きな要因であり、家族との相談も必要であると説明した。
肘の治療と身体の強化
「まずはヒジを治すことに集中する。やはり彼らとのパワーの違いを感じた。パワーは必要だなと」と、実力向上に向けた努力が続くことを明言した。今後の課題として、「自分の本来のボールを取り戻したい」と語り、その意志を強く持っていることが伝わる。
まとめとしての一言
上沢直之にとって、この1年は多くの試練と成長の年だった。苦い経験を通じて得たものは大きく、彼の今後の成長が非常に楽しみである。
参考リンク: 東スポWEB