新日本プロレスで「虎ハンター」の異名を取った名レスラーの小林邦昭さんが9日に死去していたことが分かった。68歳だった。
小林邦昭氏のプロレスキャリア
1972年に新日本プロレスに入門し、1973年にデビューした小林さんは、1980年からメキシコに 武者修行を行い、1982年に帰国すると、人気絶頂の初代タイガーマスクとの抗争で一躍有名になった。
年 | 主な出来事 |
---|---|
1972 | 新日本プロレスに入門 |
1973 | プロデビュー |
1980 | メキシコで武者修行 |
1982 | 初代タイガーマスクとの抗争開始 |
1986 | 世界ジュニアヘビー級王座獲得 |
1987 | IWGPジュニアヘビー級王座獲得 |
2000 | 現役引退 |
虎ハンターの異名の由来
小林邦昭さんは「虎ハンター」という異名を持ち、初代タイガーマスクのマスクを剥ぎ取る無法ファイトで多くのファンを魅了した。ファンからの支持は絶大で、特に1982年の抗争は、プロレス界において記憶に残るものであった。
- 必殺技: フィッシャーマンズスープレックス
- 抗争相手: 初代タイガーマスク、二代目タイガーマスク
小林氏の闘病歴
小林さんは長い間がんとの闘いを強いられていた。1992年に大腸がんが発覚し、手術後もリングに復帰したが、1999年には肝臓にも転移していたことが明らかとなった。現役晩年には、肝臓がんの手術痕を隠すためにタンクトップを着て試合を行い、引退を決意するきっかけとなった。さらに肺がんの手術を二度受けていたことも報告されている。
がんの種類 | 発症年 | 手術回数 |
---|---|---|
大腸がん | 1992年 | 1回 |
肝臓がん | 1999年 | 1回 |
肺がん | 不明 | 2回 |
引退後の活動と後進の育成
2000年4月、獣神サンダー・ライガーとの戦いを最後に現役を引退した小林さんは、その後、新日本プロレス道場の管理人として後進の育成に尽力した。彼は多くの若手レスラーに技術や精神論を伝授し、プロレス界の次世代を支えていった。
有名なレスラーである中邑真輔は、小林さんの教えを受けた一人であり、SNSで追悼のメッセージを発信した。
「当時、道場の管理人になられた小林さんには、自分を含め同期全員が道場でのイロハ、チャンコの作り方、時に稽古も…たくさんの事を教えていただきました。ご冥福をお祈りいたします。」
最後の活動と追悼の声
小林さんは、2023年10月30日には初代タイガーの佐山サトルが主宰する「ストロングスタイルプロレス」の新宿大会にゲストとして出席し、元気な姿を見せていた。その姿は、プロレス界の草分け的存在としての彼の強さを象徴していた。
彼の死去を受けて、複数のプロレスファンや元レスラーから追悼の意が表明されており、彼の功績は今後も語り継がれることだろう。
家族や関係者への影響
小林さんの死去は、家族や次世代のレスラーたちにとって大きな衝撃となった。彼が教えた技術や思い出は、これからも多くのレスラーたちの中に生き続けるだろう。
影響を受けたレスラー | コメント |
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中邑真輔 | 小林さんの教えを受け、成長したことを感謝 |
獣神サンダー・ライガー | ブラッシングペイやフィッシャーマンズスープレックスの重要性を感じている |
まとめ
小林邦昭さんは、プロレス界において欠かせない存在であり、「虎ハンター」としての名声は一生消えることはない。ここで紹介した彼の経歴や闘病生活を通じて、彼の精神や情熱がどれほど強かったかが伝わることを願っている。彼の命は短かったが、その影響は計り知れないものであり、多くの人々に愛された偉大なレスラーであった。