DeNA戦力外→医学部 夢半ば32歳
日本人で初めてプロ野球選手から医師への転身を果たそうとしている寺田光輝さん(32歳)は、2018年から2019年にかけてDeNAに投手として所属していました。2021年10月に東海大医学部に編入し、医師国家試験に挑む準備を進めています。寺田さんは多くの困難を乗り越え、夢の実現に向けて一歩ずつ前進しています。
寺田光輝さんの経歴と成長の背景
寺田さんは、もともと医師の家系に生まれ、野球と医療の夢を持ちながら育ちました。彼の家庭には、父親が経営する医院があり、弟も整形外科医です。このような環境で育つ中で、医師になる選択肢が常に近くにありました。彼は高校時代、県立伊勢高校で素晴らしい成績を残し、その後は三重大学に進学しましたが、プロ野球選手を夢見て野球の道を追いかけることにしました。
寺田さんのキャリアのデータ
年 | 活動内容 | 状態 |
---|---|---|
2018 | DeNAに投手として加入 | 現役選手 |
2019 | DeNAでの活動が終了、戦力外通告を受ける | 現役引退 |
2021 | 東海大医学部に編入 | 学生 |
2026 | 医学部修了予定、国家試験受験準備中 | 医師になる道を歩む中 |
苦難と挑戦を乗り越えて
寺田さんは、彼の野球人生において非常に苦しい瞬間を迎えました。DeNAでの2年間は1軍登板もなく、結果を出すことができませんでした。「何1つ結果が出ない2年間でした。それまでは、紆余曲折は経ても、かなわない夢はないと考えていましたが、プロで活躍することはできませんでした」と寺田さんは振り返ります。この挫折は、彼を次のステップへ進む原動力となりました。
彼はアルバイトをしながら猛勉強し、東海大医学部への編入を果たしました。寺田さんの取り組みには、強い意志と努力が見て取れます。再び医学の道に進むことを決断した彼は、自分にしかできないことを見つけ、多様なキャリアを築こうとしています。
文献参考リンク
「浅尾式練習」での成長
寺田さんは、元中日の浅尾拓也投手の練習メニューを参考にし、自宅から出身中学のグラウンドで自主練を続けました。彼は、体力と技術向上のために様々なトレーニングを行い、130キロから146キロに球速をアップさせることに成功しました。次に、筑波大学の体育専門学群に進学し、野球部での活動を開始します。
トレーニングメニュー | 内容 | 効果 |
---|---|---|
縄跳び(二重跳び) | 50回×4セット | スタミナ向上 |
ダッシュ(20メートル) | 50本 | 瞬発力向上 |
体幹トレーニング | 腕立て伏せ、腹筋、背筋 | 筋力増強 |
スポーツ内科への興味
寺田さんは、医師として目指す専門分野として「スポーツ内科」に興味を抱いています。この領域では、スポーツによる内科的問題を予防し、治療することに焦点を当てています。近年、スポーツ医学は重要性を増しており、寺田さんのような選手出身の医師がこの分野に参入することで、選手の健康やパフォーマンスを向上させる貢献が期待されています。
将来のビジョン
寺田さんの将来的なビジョンには、地元の伊勢市で医師として活動し、かつてのチームDeNAに恩返しをするという夢があります。「最終的には、生まれ故郷の伊勢市を基盤にしたいと考えていますが、その前に、自分の夢をかなえてくれたベイスターズに、選手として力になれなかったので、チームドクターとか何か違う形で恩返しできたらと思っています」と話します。
まとめ
寺田さんの挑戦は、多くの人々にインスピレーションを与えています。異色のキャリアを持ちながら、野球選手と医師という二つの夢を追い求める姿勢は、努力と挑戦の重要性を体現しています。彼の努力はまだ続いており、40歳で医師としての第一歩を踏み出すことを目指しています。彼の人生は、夢を追うことの大切さと、それに伴う努力を示す素晴らしい例です。